愚者であることを自覚する

浄土真宗

専修念仏へ関心をよせたおびただしい人々が、多くの場合、この「愚者になる」ということができずに躓いていった。専修念仏は、ひたすら阿弥陀仏の請願を信じて念仏することに尽きる。それをもっともよくするのが「愚者」なのである。自らに自信のある間は、信心も念仏も開かれない。中世も現代も専修念仏の前に立ちはだかる壁は同じなのである。「親鸞からの手紙」より

現代人は自分自身を本当は愚者であってもそれを受け入れようとしません。中途半端な知識やプライドが邪魔をしていると思います。私も自意識過剰なぐらい自分に自信を持っていましたが、仏教と出会い少しずつ本当の自分というものがわかりはじめました。そんなに偉い人なんてこの世にはいないのです。ある分野で秀でた人は確かに存在しますが、その人だって一個人として内面はどんなものだかわかりません。自分自身のこともわからない(愚者)のですから、まして他人様はわからない。そんな他人様のことをいろいろ思い言うわけですからまさに愚者そのものでしょう。自分自身が愚者そのものであると自覚することが物事を素直に受け入れるために必要なことではないでしょうか。『善き人』への第一歩は謙虚に己を知ること。愚者であることの自覚。素直な心ではないでしょうか。
                            南無阿弥陀仏

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