若い頃は無明なもの

浄土真宗

5年越しのお仕事が本日終了予定です‼️


地権者数名の果樹園などを


宅地として👀
関係者の皆様、ご協力ありがとうございました。

連休の早朝は酔っ払いが出没する。今朝も大声で怒鳴りながら仲間と喧嘩をしている若者がいた。見苦しくはあるが、他人のそれに物申しても仕方ない。かえってトラブル巻き込まれても・・・・。相手は酔っ払い。酔ってなくてもではあるが聞くこともないだろう。これは酔っ払いの話だが、仕事でもそうだろう。こうしたほうが良いと伝えたところで、本人にその気がなければ受け入れられるものでもないだろう。受け入れるだけの説明を本人が納得しないとその気持ちにはならないだろう・・・・私も若い頃はそうだったような気がする。今なら非常に恥ずかしいことをしていたなぁと。酒に飲まれていたんだろう。若い頃は無明なものです。あとからわかることでしょう。

 

念仏を信じない人になんとかして念仏の教えを信じさせようとすることは避けた方がよい。不信のものを信じさせることは、阿弥陀仏でも力及ばないこと。それは、「縁」が熟していないからである。本人に求める心が生じなければ、手を差し伸べるわけにはゆかない。阿弥陀仏を求める心が生じるか生じないかは、その人の「業」による。「業」とは、本人もその全貌を知ることができない。わが身を凡夫と実感できるのも、「縁」がはたらき、「業」がつくされてのことである。人というものは業縁によって動く存在である。自己が凡夫であることに思いいたれば、阿弥陀仏の本願を信じることができる。

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