執着しないから男前に見えるだけ!

日々

おはようございます。
仏教慈善家、釈正信でございます。

毎朝、一時間、愛犬の散歩をしてますあせあせ (飛び散る汗)
今日のブログは何を書こうかと考えながら歩いております。

男前ですねぇ・・・・

問題解決をご依頼してる弁護士の先生から何度か言われました。

私、ビジュアル的に男前でありません😆
発言が男前だ。とのことです。

その理由は❓
グズグズしない。スパッと決めること。
決めた以上は自分自身がカタをつける強い意志があること。
そんな点が男前になるのでしょう。

この発言の根底にあるのは過去の経験です。
多額の借金の保証人になり多くのものを失ったこと。
この経験から多くのものへの執着が無いんです。
執着しないので恐れがまったく無いのです。
失うことを恐れればなかなか決められない。ものです。

そしてもう一つは経験からくる『なんとかなる』って智慧からの強い責任でしょう。
いろんな経験をしましたが、正しく善いことならなんとかなる。

自分がなんとかできる。って判断材料は、
それが、人として『正しく』『善い』ことなのか❓
『正しく』『善い』ことじゃなければなんとかならない。
だから私はそのような判断はしません。(固い意志)

ものごとをシンプルに合理的に考えるので
相手がやること、自分がやることを明確にできるんですね。
だから、自分がやることをホンマに自分ができるか❓

その上で考えてることは守りに入らない。こと。
たとえ、守る局面でも積極的な守りを目指します。

ウジウジしてたら進まないんです。
諸行無常、変化していくんです。
変化するのが当然だから、進まなきゃdouble exclamation
進むときには想定通りばかりじゃないのは当然です。
それでも一つずつ、カタをつけながら進める。
もちろん目的地、最終ゴールを決めてますから
そこを目指して進むだけですdouble exclamation

日々はこの目的地、ゴールを目指した行動の継続です。
その継続の根底には仏教の『八正道』であり『五戒』であり人としての『善』の心があります。
その仏の教えを根底にすれば、恐れるものはなにもない。間違いがないんです。
その上で、執着が無いってことが最大の武器でしょうねぴかぴか (新しい)

多くの人は多くの執着にまみれています。
執着は『苦』を招きいれます。
これは本当です。

私はその執着が人より少しだけ少ないのだと思います。
それが『男前』に見えるのでしょうね。

執着を捨てきる。
まだまだ『男前』にならなきゃです😆

 

南無阿弥陀仏

 

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