こんにちは
仏教慈善家、釈正信でございます。
11月、雨の始まりとなりましたね。
結構降るみたいなんで、気をつけてくださいね。
阿弥陀三尊(阿弥陀如来を中尊その左右に観音・勢至の二菩薩を脇侍)には
勢至菩薩が必要なのです
一切は空である
これがわかったなら、すべてを抱えないことだろう。
なにものからも苦を受けることなく・・・・
抱えてしまえば、それが最初嬉しかったり、楽しかったととしても
それは新たなる苦に変化することを抱えることになる。
なんでもそうでしょう。
それをわかった上で、抱えるのであればそれはその人の価値観ってことではないでしょうか。
一切皆苦
なにももたなければ苦しくもない。
これって自分の思いももたないってことですから・・・・
普通じゃできんことでしょう。
人間の貪りの心が、そのまま悟りであり、怒りや愚かさも同じです。
人間の基本的な三つの煩悩の中にこそ、無量の仏たち(悟り)の道があります。
煩悩と悟りとは、本性は一つですが、時と働きが違うために煩悩となったり悟りとなったりします。
本性は一つですが、穢れと清さが同じではありません。
例えれば、水と氷、種と果実の関係です。
煩悩は心が生み出します。
ゆえに心を師とせず、心の師となれということです。
なんとなくわかるようなわからんような・・・・
11月も学んでまいりましょう😆
南無阿弥陀仏
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