おはようございます
仏教慈善家、釈正信でございます。
一週間のはじまり月曜日です。
今週も残暑は厳しそうです。暑さ対策を怠りなきようお願いします。
今日は、『歎異抄』から一つお話しいたします。
『歎異抄』で有名な文章の一つ
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」
現代語に訳すと
「善人でさえも往生を果たすのです、ましてや悪人が往生を果たすことはいうもでもありません」
現代人の私たちでは❓となりませんか。
善人が往生できるんだから悪人は間違いなく往生できるんです。って
普通に考えれば逆ですよね。
悪人でも往生できるんだから善人が往生しないわけがない。このように。
これは、善人は自力に頼りがちであるからとか理由はあるのですが
今日は、この善人、悪人についてお話ししましょう。
現代人は総じて自分のことを悪人とは思いませんよね。
自分は善人だと考えています。
その自分は善人ってどこからくるのでしょうか。
自分は善人だ。これは他人との比較から多くはきてると思います。
あの人と比べれば自分は善人だ。と・・・・
最近私は自分は悪人(凡夫)だと考えています。
昔は本当の悪人だったけど、最近は少しはマシだと思った時期もありました。
その少しはマシな自分でも明らかに悪人だと。
私はこの世は悪人しかいないと思います。
程度の問題はもちろんありますが全員悪人です。
これは善人、悪人を考える際、先ほど伝えた他人との比較ではなく
仏さまとの比較で考えると全員悪人となる訳です。
人なんて生き物はどこまでも悪人なのではないでしょうか。
身勝手な都合の良い生き物ではないでしょうか。
たとえ善を施したとしても施す自分に酔ってたり。
他人の役に立つとしてもそれを自分の自慢としたり・・・・
おバカな生き物ではないでしょうか。
でもね、私はそれでもいいと思うんです。
『自分は悪人だ。自分はバカだ。自分は凡夫だ。』と自覚できてれば。
世の人がこのような自覚が心底できれば
争いのない、他を思いやれる素晴らしい世界になると思うんです。
そのようないいことには絶対にならないだろうな。と思う自分もいますが・・・・
悪人で無知(バカ)な人間だからこそ
なにかに頼るしかないんですね。
これが阿弥陀仏に頼る『他力本願』となるのではないでしょうか。
どれだけ立派な人でも
仏さまと比較したら悪人ですよ
悪人の自覚を持って生きていきましょう。
南無阿弥陀仏
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