ご聴聞ありがとうございます。
「聖道門の修行は智慧を極めて生死をはなれ、浄土門の修行は愚癡にかえりて極楽にうまる」
浄土門の人は愚者になりて往生す。と言われています。
末法の五濁の世の今生に生きる私たちは総じて愚者です。
賢者なわけはありません。
ところがなにか勘違いして「自分は偉い」などと・・・・
最早、愚の骨頂です。
いいですか。
我々は愚かな凡愚なのです。
この自覚から常に反省し、阿弥陀仏におすがりするのです。
これが正しい信心といわれます。
少しでも自分は偉いなどと思わないことです。
どんなに立派に見える人も所詮愚かな凡愚です。
素直に認めることが大事なのです。
自分を愚かと思わない人たちは
反省もしません。
素直に自分は愚かな凡愚と受け入れ自覚することです。
まずは、ここからでしょう。
あなかしこ あなかしこ
令和七年十二月十九日
釋正信
🙏南無阿弥陀仏
ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺、僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡ください
一人一人それぞれが誰かの善き人であるように
人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。
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