如説修行の御文よりの考察

学び

ご聴聞いただきありがとうございます。

本日は蓮如聖人の「如説修行の御文」から
お話させていただきます。

如説とはお釈迦様からの教えのことです。
これに修行ですから
お釈迦様が教えられた修行方法のことです。

誰もが教えのとおり修行すれば目的に達するのですが
末法の時代の人間には無理だそうです。
人間の資質が劣っているからです。
だから自力での修行(聖道自力)は成り立たない。
だから阿弥陀仏の救済によらなければ救われないのです。

では、その阿弥陀仏へのおたのみの仕方は
ただ、呪文のように「南無阿弥陀仏」と唱えればいいのではありません。
「南無阿弥陀仏」の名号の内容を信知する(無信単称)ことです。
内容は「一心に阿弥陀仏におたのみすること」
「一心にたのむ衆生を阿弥陀仏は必ず救うこと」
これが「南無阿弥陀仏」の内容です。

① 自力では無理です。(聖道自力)
② 一心にたのめば必ずお救いくださる。(無信単称)
この二度の選択を一念同時に体験して救われるのです。

まっ、ここまでは真宗の教えですが
この御文からしっかり感じ取らなければならないのは
現代人は昔の人間より劣っている。ってことでしょう。

釈迦存命中、あるいは滅後500年(1000年)の間は
自力の修行で目的(成仏)が達成されてたのです。
でも、現在は自力での成仏はできない。
人間の資質が劣っているからです。

でも、おそらく現代人の多くは
昔の人間より進化して偉い。って思ってます。
思い上がりも程々にしましょう。
確かに一見、進化に見えるでしょうが
本当でしょうか❓
そして進化が必ずしも偉いのでしょうか❓

便利な時代にはなってると思います。
その便利さのために無くしたものも多くあります。
この世は、無常ですから変化は当然です。
その変化が良いのか❓悪いのか❓
ここを考えるべきでしょうが・・・・

今日のところは、仏法上では
末法の世に生きる人間は人間としての資質が劣っている。
こう自覚する必要がある。
故に、自分自身が
脂質の劣った人間であると『謙虚』であるべきと考えます。

私の見るところ、現代人は『傲慢』で『愚か』な『欲の塊』に見えます。
いつからそうなってきたのか❓
わかりませんが、『謙虚』に今生に向き合いたいものです。

進化したからってあなたが偉いわけじゃないんよ😆

この冷凍チャーハンがいくら美味しく進化してても
私が偉いかには関係ありません😆
(そんなものです。)

でも、ぶち美味いけぇ😋
今日のお昼もいただきます。

あなかしこ あなかしこ

令和七年十一月十四日
釋正信

🙏南無阿弥陀仏(御恩報謝)

ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺、僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡くださいdouble exclamation 一人一人それぞれが誰かの善き人であるようにdouble exclamation 人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました