亡骸は抜け殻のように感じました

日々

『あわれというもなかなかおろかなり』
(白骨御文より)

人が亡くなれば、その身体は、
あぁ、ただの器(入れ物)だったんだなぁ。
亡骸は抜け殻にも思える。

そこに生前の方はいません。
すでにどこか(浄土など)に
旅立たれた後に感じられました。
お疲れ様でした。
その言葉しかかける言葉は見当たらなく…

おそらく、信心獲得(決定)されてたのでしょう。
なんの憂いもなく、そこに器を残され
旅立たれたように感じました。

故人(義父)と仏教について
話したことはありません。
でも、相当の学びはされてたのでしょう。

私もこのようにありたいと思います。

令和七年四月十四日
義父の葬儀を終えて
釋正信

🙏南無阿弥陀仏

ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡くださいdouble exclamation

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました