性善説・性悪説 どちらも目指すところは一緒です

学び

おはようございます曇り
正しい信心、正信でございます🙏

本日は関係企業様の株主総会。
大株主様からの出席要請がありましたので
オブザーバーとして出席いたします。

桜、散りはじめました🍻
桜花粉に悩まされる我が家。
待望の桜の終了です。

ちなみに桜がそろそろ散るサインは☝️
花の中心部分が濃く色づくことだそうです。
そういえば先始めは白っぽいですよね。
色濃くなりだすとそろそろ散るひらめき

なんか、『桜散る』を待望する私は
『性悪説』の悪人ですね😆
仏教的に人は悪人ですから丁度いい。

昨日のブログに書きましたが
『善行はこの世で学んだこと』
実はこれこの世に生まれてから
善行を学んだってことなんです。

だから、生まれた時は『悪』
『性悪説』なんですね。

さらに、御文章にも
『無始以来つくりとつくる悪業煩悩を・・・・』
この無始とは
始まりを知り得ないほどの限りない過去。
そんな過去(昔)から悪業煩悩を作ってる。
生まれるずうっと前から。
これじゃ生まれた時は『悪人』ですよね。

このように長期的な時間軸で考えると
『性悪説』が正解なのかも知れませんね。

そんな私たちが生まれてからの今世では
善行を良しとされ教育されてきます。
ゆえに、私たちは善の種子を持っている。
芽生えさせなさい。と儒教は教える訳です。

今世だけの短期的時間軸では
『性善説』となるのでしょう。

いずれであっても目指すとことは一緒。
しっかり学んでまいりましょうdouble exclamation

 

🙏南無阿弥陀仏

ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡くださいdouble exclamation

 

 

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