欲(貪り)

在り方

仏教を学び始めてから欲について考えることが非常に多いです。仕事柄、欲と欲のせめぎ合いの妥協点を探しながら仕事(仲介)をしています。人ってやつはどこまでも自分の都合(思い)を優先します。そして、欲って絶対に無くなりませんね。無欲を目指したところで、無欲になりたいという欲がすでにそこにはあります。生きてる限りどこまでも欲はついてくるのでしょう。欲は絶対に無くならない。であるならば欲の量を少なくすること、欲の出現を後回しにすると良いのでは考えました。自分の欲は最後の最後で構わない。この程度で満足だと・・・・このように考え行動をしています。ドキドキ、ワクワクもしませんが、いろいろな心の動きも少なくなります。心の波が穏やかになったように思います。(寂静に近づいてますね)

人の欲ってその人その人で同じ欲が何度もくり返し起こることもわかりました。その欲のため一度痛い目に遭い財産を失っていながら、時が過ぎればまた同様な欲を起こし行動してしまう。その人が何に執着しているかわかります。おそらく欲という奴は思考を停止させてしまう恐ろしい原因なのでしょう。欲によりまともな判断ができない無明に陥る。そして同様の失敗を招き入れる。他人の思考ですが、側で見ているとわかるものです。もちろんその方にお伝えはしますが聞き入れる入れないもその人次第でしょう。欲って恐ろしいものだから取り扱いに注意したいものです。みなさんもご注意ください‼️

コメント

  1. 奈良 より:

    買い手と売り手の欲の調整と、双方の幸福を願うことはまさに菩薩行じゃないでしょうか。
    そして、自分の欲を後ろに置いておくことができるかもしれません。

    現実は厳しくて綺麗ごとじゃないのは分かりますけど、不動産仲介業ってのは仏道を歩むのに適しているようにも思えます。

    業務を通じての仏教上の気づきについて、ご教示いただけるのを今後楽しみにしています。

    • 釈正信 より:

      奈良様 いつもありがとうございます。
      私の方こそいつも学ばせていただいております。
      これからご指導よろしくお願いします。

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