おはようございます
仏教慈善家、釈正信でございます。
本日もよろしくお願いします🫡
昨日の続きのようなブログです。
要は、感謝の気持ちがないんですよ、最近の人間は
これはね、社会全体が顧客満足を掲げすぎた弊害ではないでしょうか・・・・
どこの企業も顧客満足を掲げていますよね。
なんとなく良さそうな言葉ではありますが
本当の顧客満足わかってるんでしょうか・・・・
実際は、顧客満足を表面に出し、自社の利益を追求してるだけって企業がほとんどでしょう。
理にかなった要求をしても、顧客満足を掲げる企業のほとんどは
社内ルールに則り無理だと説明してきます。
このように顧客満足とは、言葉だけが先走りしてるだけ。
そのように考えます。
本当に顧客の満足を追求すれば
そこにはその顧客の対極の存在は不満足を感じるはずです。
入居者が満足すれば家主は不満を感じる。
そんなものだと思います。
最近の客付業者は、顧客の言いなり。ですから😆
物事がわかっていない。
確かに言いなりで対応すれば楽ですよ。
嫌われることも少ないでしょう。
でも、それがプロの仕事なのでしょうか❓
部屋借りて、その部屋の設備であるドアや扉を外して欲しい。とか・・・・
そんなものは、自分が利用しない(不要)であれば、自分で対応すればいい。
退去時に、そのドアや扉は原状回復の対象でもあるんです。
そこまで、入居者が理解して希望してるならいいのでしょうが・・・・
そういうことを適切に伝えること。
それこそが不動産屋のやるべき顧客満足じゃないんでしょうかね。
知識が無さすぎの不動産屋の営業が多すぎなんですよ。
人間なんて甘やかすといくらでも増長する生き物なんです。
お互い様。ってこと。
自分の満足の対極には不満を抱く他人が必ず存在する。ってこと。
わかった上で主張すべきではないでしょうか。
ですから、私は自分の満足は求めません。
必要であれば、自分でなんとかします。
他人に依存しません。
他人に依存しなければ、他人に負の影響を与えることもありません。
それでも、他人になにかしらしていただいたら感謝します。
やってもらって当然じゃないんですよ。
自分が思うとおりにしてもらう。って当然じゃないんですよ。
思うとおりにできてるってことは、関わる人たちに感謝すべきことなんです。
それがわからない人とは関わる必要がない。
そんな人間を私は客にはいたしません
私はそう考えています。
まぁ、末法の世ですから仕方ないです
南無阿弥陀仏
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