ご聴聞ありがとうございます。
末法の世に生きる私たち。
どのような立派に見える人たちもすべて悪人なのです。
「一生悪をつくって生きてゆかねばならない凡夫」
末法の世を生きるとはそういうものでしょう。
涅槃が善も悪も無いのですから
程度の差はあれ、末法の世は悪人だらけです。
同じ悪人であれば、悪人の自覚の有る無しは大事です。
悪人でありながら善人だと思えば愚かな悪人となります。
悪人なんだと。自覚することでしょう。
自分は悪人なんだ。
こう考えればなにごとも受け入れやすくないでしょうか。
阿弥陀仏への正しい信心もこの悪人の自覚からでしょう。
まずはここからと思います。

あなかしこ あなかしこ
令和七年十二月十一日
釋正信
🙏南無阿弥陀仏
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一人一人それぞれが誰かの善き人であるように
人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。
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