話が通じない人への接し方

法話

ご聴聞ありがとうございます👂

どこの世界にも、どの時代にも
話の通じない人たちは必ず存在します。

そんな人にいくら親身に寄り添ってみても
話は通じません💦

そんな場合はあっさりと離れる(距離をおく)ことです。
離れるまではまったく聞く耳を持たない相手も
離れられたことで聞く耳ができる場合もあります。

話が通じない。は『聞く耳』を持っていないことが原因です。
刺激することで『聞く耳』ができればいいのですが
それでも依然話が通じない場合の考え方は
そもそもその人とは「縁」が無い。と考えるべきでしょう。

同じ言語であっても通じない人はいるものです。
そんな人からは離れる。関わらない。
「縁」がないのですからひらめき

私のまわりにも、話の通じない人はいます。
「縁」を切りたいのですが仕事上どうしようもない。
そんな場合、直接話しても話が通じませんから
第三者機関である裁判ってことになるのですが・・・・😆

これは真宗の教えにもあります。
仏法を説く際、宿善の有る無しで
聞く耳が有るのか無いのかを判断する。
宿善のある人は聞く耳を持っていますし
いずれ自ずから理解もできます。
しかし無宿善の人は何をどう説いたところでわかりません。
ですから無宿善の人には仏法を説かないことなのです。

話の通じない人と接することは
時間・労力の無駄です。
話の通じない人とはできるだけ関わらないことです。
元々、縁が無いわけですから😆

*宿善・・・・過去世に積んだ善根。
*無宿善・・・・信心を獲得するための宿善が無いこと

あなかしこ あなかしこ

令和七年十二月九日
釋正信

🙏南無阿弥陀仏

ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺、僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡くださいdouble exclamation 一人一人それぞれが誰かの善き人であるようにdouble exclamation 人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。

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