ご聴聞ありがとうございます。
本日は宿善・無宿善の人についてのお話です。
この世にはおわかりの通り沢山のいろんな人がいます。
仏道のお話を理解できる人、できない人。
わかろうとする人、しない人。
まだ、わからないけど、後にはわかるかもしれない人。
いろんな人がいらっしゃいますが
わかろうとしない人に無理やりわからせることはできないのです。
あくまで自主性=本人次第。です😆
宿善の人とは、過去世に積んだ善根を持っている人。
無宿善の人とは、信心を獲得する宿善の無い人。
真宗では、宿善の人か無宿善の人か❓
無宿善の人に仏法を説いてもわからない・・・・と。
私は誰しも宿善はあると思いますが
その宿善が花開くタイミングがそれぞれと感じています。
もちろん一生、タイミングが来ない人もいますが。
私も晩年にタイミングが来ました。
特に求めた訳でも無いのですが・・・・
まぁ、なんらかのことをきっかけに宿善は開くのでしょう。
宿善が開けば、信心を得るのみです。
(たいした力じゃない)自力を振り捨てて
一心に弥陀に帰命するんです。(無垢な心)
その結果がどうなるかは・・・・
結果(出来事)は可も無く不可も無く。
善も悪も、良いも悪いも実は無い。
己が勝手に都合よく解釈してるだけ・・・・
これがわかれば思い悩むことが
どれだけ無駄なことなのか。
理解できませんかね。(ホンマは理解も不要)
そんなことを感じています。
あなかしこ あなかしこ
令和七年十一月二十六日
釋正信
🙏南無阿弥陀仏
ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺、僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡ください
一人一人それぞれが誰かの善き人であるように
人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。
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