他力信心とは
蓮如聖人は弥陀をたのめと説く前に
必ず私たちの罪深さを指摘し
あるいは雑行を捨てろといわれます。
これは、自分の力をたのみ
たのみとできると考えている思い上がりを認識せよ。
という教示であり自力をたのむこととの訣別を意味しています。
今般、裁判案件が発生しています。
昨晩、弁護士さんと打ち合わせる際
私の考え思いをお伝えしましたが
そのお伝えしたことが『自力』なのでしょう。
確かに人生経験、道理から考えれば
私の思いは理解されると思いますが
『自力』であることは間違いありません。
愚かな凡愚である私です。
すべては、阿弥陀如来へおまかせするだけです。
弁護士さんにおまかせし
阿弥陀如来におまかせする。
このような姿勢が真実の信心ではないのか❓
多少のことはわかりますが・・・・
真実の信心とはそのようなことでしょう。
浄土往生を自力で・・・・
あきらかに無理なことでしょうよ。
己に対して謙虚であること。
謙虚であればたのむのは阿弥陀如来一仏です。
仕事においても謙虚であるべき。
そして、素直に受け入れることでしょう。
所詮、生きてる間の夢幻事ですから😆
あなかしこ あなかしこ
令和七年十一月十二日
釋正信
🙏南無阿弥陀仏(御恩報謝)
ご質問、ご相談は info@yokihito.net 慈徳山得藏寺、僧侶釋正信までご遠慮なくご連絡ください
一人一人それぞれが誰かの善き人であるように
人生勉強の会、正信会(しょうしんえ)ご入会希望の方もご連絡ください😆共に学びましょう。
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