おはようございます
仏教慈善家、釈正信でございます🙇
本日は親鸞聖人のご命日にあたり報恩講をお勤めさせていたきました。
さて、親鸞聖人のご命日にあたり
我々、老人の今後、どうあるべきか❓考えてみました。
『老害』と言われる人種がいます。
これって、昔の自分を大事にするあまり
考え方を変化させることができない老人のことだと思います。
老人の考えが悪いのではなく、現在に受け入れられにくいだけ。
この世は『諸行無常』ですから、凝り固まっていてはダメです。
しかし、本当は残した方が良い考え方も多くあるはずです。
老人が次世代にどう伝えていくのか❓
ここが重要ではないでしょうか。
残すべきこと、改めること、時代に即した考え方に変化させること。
若い時に部下を指導していたように伝える。
では現代では、支障が多いのかも知れません。
あっさり、離れた方がいいような気もします。。
聞きたいことを聞いて来やすいように、常に聞きやすい環境を用意しておくこと。
そして聞かれたことを理解できる言葉で丁寧に伝えること。
その一つの答えはいろんなところに影響を与えることも正しく伝えないといけないでしょう。
あくまでも理論的に冷静に今風にってことです。
考え方、伝える言葉を日々修正(アップデート)できるか❓
ここに老害になってしまうか、否かがあるように思う。
日々修正(アップデート)には、素直に受け入れる、聞く耳が必要です。
素直な老人って少ないですよね。(私も含め)
でもね、経験は宝物だと思うんです。
同じ経験なんて望んだところでできないし
同じ経験を積むだけでは、時間がかかりすぎるから進化もしないでしょう。
経験を聞き、受け入れ、その上で生きながら更なる経験を積む。
それが新たな経験となり考え方などが進化していくのではないでしょうか。
若い時は、それを自分で上書きしてきたと思う。
今、その上書きがされてないと
『自分が、若い時には・・・・』となるのでしょう。
これでは、自分自身の成長が止まった。ってことではないですか。
死ぬまで進化し続ける
この気持ちで、変化を受け入れ、常にその時の、最善を目指す。
いつも門戸を開き、受け入れ態勢で相談しやすくしておく。
そのために、話しやすく、相談しやすい環境を作るべきですね。
その一つがこのブログであればと考えます。
もちろんそんな人間になるってことが一番ではあるのでしょう。
えぇ年になりましたが、
それでもなりたい自分像を考えながら今しばらく過ごしていきます。
そんな私は、まず話を短くすることを考えます😆
(話がドンドン飛ぶんですよ反省)
進化するじじぃになりますように
南無阿弥陀仏
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