おはようございます
仏教慈善家、釈正信でございます。
こちらはよい天気ですが、沖縄方面は大変ですね
本日もよろしくお願いします。
ぶつかりランナーとの罵り合いなど嫌なことがある時に参考になるのが
往生要集(源信) 厭離穢土(汚れた世界を厭い離れること)です。
その汚れた世界の一つに人間世界があります。
他には(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天道)です。
源信は人間を汚らしいもの、苦しいもの、哀れなものとしてのみ捉えています。
ここでは、具体的にお伝えしませんが、人間とはそんなものと・・・・
だから、ぶつかりランナーみたいのと遭遇しても人間だからとあきらめます。
もちろんそのあきらめる中に自分も存在しています。
所詮、人間なんてそんなものなのです。って考えれば怒りも鎮まります
厭離穢土のために仏教がある。
仏教によって汚れた世界から離れる。
その離れ方を仏教から学ぶってことです。
そんな汚らしい、苦しい、哀れな人間ではありますが
無量生死の中に人身を得ること甚だ難し。
(人間として生まれるのは難しい)
・・・・仏教に遇うことまた難し。
仏教に遇うとも、信心を生ずることまた難し。
私の解釈では、人間はくだらない生きものですが、
それでも、人間であれば学ぶ(仏教)ことができる。
(仏教を)信じることができる。
ここで学ばなければ、迷いの世界をまた再び輪廻するだけになるでしょう
このように解釈いたします。
まぁ、人間ってやつはそれぐらいのものです。
その中の一人や二人おかしなのがいて当たり前なのです。
積極的に関わらなければいいだけです。
自分自身が汚らしい、苦しい、哀れなものと自覚することです
自覚すれば学ぶことです
さぁ、今週も学び続けます
南無阿弥陀仏
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