「仏になりたい」と願う心

学び

おはようございます晴れ
仏教慈善家、釈正信でございます。
三連休最終日は少し学んだことをお伝えします。

往生要集 大文第四 正修念仏 第三 作願門にこのような記述があります。

作願とは、『仏と作(な)りたいと願う心』である。
悟りに到達したいという気持ちを起こすことである。
そしてそれは、『衆生を救う心』となり、結局『衆生を浄土に生まれしむる心』となる。

形式的に阿弥陀仏を礼拝・讃嘆したところで、『仏になりたい』という気がこちらに側になかったなら、初めから何にもならない。

源信はこのように教えてくださいます。
後の法然・親鸞では、『仏になりたい』の教えはどこかに消えてしまいます。
真実の信心の称名となるのですが、『仏になりたい』って思う方がわかりやすくないでしょうかね😆

また、ものには積み重なること愛着も苦しみもなくすべての存在は生まれもせず永遠にとどまることもない
因と縁とが合わさって生ずるのですが、生じ終われば再び滅する
一切の煩悩も生じてから滅する

私も今は、生じているが、いつか必ず滅する。必ずdouble exclamation

今までの悪業は積み重なることはないのだそうです。
そうであるなら、今、この瞬間からやりなおせるってことか。
みなさん、やり直せるんですよグッド (上向き矢印)

心、新たにdouble exclamation


別売の充電ケーブルも到着double exclamation

 

南無阿弥陀仏

 

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