平等の考え方

学び

おはようございます晴れ
仏教慈善家、釈正信でございます。
いつまでも暑いですなぁあせあせ (飛び散る汗)
今年の暑さは身に堪えましたが
もうしばらくの辛抱でしょうか。

よく耳にする言葉の一つに『平等』がございますが
この『平等』、誰もが『平等』という一見綺麗事のような言葉です。
私は最近少しだけわかってきました。

誰もが『平等』という一面も当然ですが
私は私の他人、他者への接し方が『平等』であること。
これが『平等』ではないだろうかと。

私にも当然、他の人たちに対して好き嫌いは当然あります。
この好き嫌いって理由もある場合もあれば、さしたる理由もない場合もあります。
すれ違うだけでも好き嫌いってあると思うんです。

そんな好きな人に対しても、嫌いな人に対しても
私自身の態度・行動・発言が同じであれば『平等』なのだろうと。

好きであろうと嫌いであろうと伝えるべきは伝える。
その伝え方が同じであることが『平等』なのだと。

このように『平等』とは一人ひとりが
誰にでも同じに接することができれば
全体として結果的に『平等』な世界になるのです。

誰とでも同じ態度で同じ行動で同じ発言で接すること。
これが『平等』ではないでしょうか。

特に仲良くする必要もないです。
ただ接する姿勢が同じでありさえすればいいのでしょう。

仏さまは誰を助け、誰を助けないなどありません。
すべてに対して慈悲で接っしておられます。
善人であろうと悪人であろうと。
私たちもそのような思いを持てればいいですねdouble exclamation

 

南無阿弥陀仏

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