会うも別れるも、来るも去るも、結ぶも切れるも
表現は様々ではありますが
やることは一緒だと考えています。
会えば、来れば、どうしようなどと考え整える。
去るのは相手の思いで去れば良い。
良い悪いは別として
何事もそのようなものでしょう。
このどうしよう、どう対応しようってことに
経験ってものが必要になります。
でも、この経験って必要ない時は不要でもあります。
だから必要な時に必要なだけ使用する。
この考え方は生きてる限り
どんな場面でもそうだろうと思います。
例えば、今来てる『台風』でも。
来るっていうから備えるんです。
去れば備えを解除する。
他人とのいざこざであっても
相手があるから事前に準備をするわけです。
この備え・準備を怠ると
身に危険が及んだり、意のままにならなかったり
もちろんすべて自分に都合良くはいかないでしょうが。
それでも、備え・準備できてる方が
圧倒的に結果は良いと思います。
(台風に備えシャッターを下ろす)
別れる・去る・切れる。結果が出れば
その準備は不要となり、自分の経験となります。
そして、また、いつか同じような場面が起こった時
その経験を活かして備え・準備するんです。
わしのような年寄りは普段はいらないのです。
有事の際に、年寄りの経験が活かされる。
そんなものでしょう
日常の業務・生活は
その時代その時代でどんどん変化します。
しかし、有事の対応は内容は変化するでしょうが
備え・準備することに変わりはありません。
『共に生きる』
そのためには、『共に支える』ってことです。
仏教では『相互依存』。
共に支える。
それぞれの役割を自覚し支えあうこと。
人類が争うことなく生きるには
とても大切なことではないでしょうか
そして、共に支え合う(相互依存)ことができなくなれば
お互いに離れていくしかありませんね。
8月も最終営業日となりました。
午後から土地の決済してきます。
ごきげんよう
南無阿弥陀仏
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