愚者の自覚

学び

南無阿弥陀仏、唱えるごとに、愚者の自覚。

60過ぎから入った仏道です。
少しずつ学んだことが理解できてきたように思います。

一方、理解しがたいことも多くありますが
学び続け、反復、継続するしかないでしょう。

『愚者の自覚』
自分のこれまでを振り返ればよくわかります。
とんでもなく愚かな生き方をしてきたなぁ・・・・
どうしようもない愚者であったなぁ・・・・
このように思い恥ずかしくもあります。
それはそれで今となっては
愚者であった証として必要ではあるのでしょうが。

極端な行動、短気な怒り爆発、大きな見栄
金銭欲、物欲、性欲、独占欲、名誉欲、所有欲・・・・
あらゆる欲に大きく執着してきたなぁ。

そして自分をコントロールできていなかった。
心の暴走を抑えることができなかったあせあせ (飛び散る汗)

若かったとはいえ、恥ずかしい限りです。
自我が強すぎたのでしょう。
今も気を抜けば強すぎる自我が
愚かなことですが出現しそうにもなります。

仕事(実務)を仏教的観点から俯瞰すると
最適解は簡単に見えてるのですが
それがわからない人たちって
すごく多い(ほぼ全員)ですねdouble exclamation

各人それぞれの欲がもつれ、絡み合い、
側から見ればおかしな思考になっています。

そこには他人に対しての慈悲心がないんです。
すべて自分に都合よく考えているようです。
そして思うようにいかないことに
怒り、妬み、苦しんでいます。
これでいい結果になるとは思えない。

それでも自分の思い通りにしたい。
ってどれほど自信があるのでしょうか・・・・

人なんてものは愚かなものです。
自分自身ですらわかっていない。
勘違い動物ではないでしょうか。

その勘違いをしないように生きるには
愚者としての自覚が必要でしょう。
人なんて愚かな生き物ですよ。
冷静に振り返ってみてください。
あ〜私って偉いなぁ。ってことはほとんどないですから。
あるのは愚かな。ってことばかりです。

『愚者の自覚』さえあれば
自分のものさしで他人を批判するような
『自是他非』にはなることも少なくなるでしょう。

『自是他非』の精神からは
他人への共感・寛容も平等の考えも生まれません。

『愚者の自覚』があれば『自是他非』にはなりません。
他人への寛容と共存を可能とします。
『愚者の自覚』ってとても大事なんですね。

愚か者、故に他力double exclamation

南無阿弥陀仏

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