究極はすべてを手放すこと

学び

30年近く共に暮らしてきた「妻」。実は雨おんななんだそうです。昨日本人から告白されました。どおりで・・・・ってことはあまり記憶にはありません。雨だろうが晴れだろうがそんなことに執着がないので気にもなりません。このように自分がなにかに執着があれば気になるものでしょう。そしてそれが思うようにならないと「苦」が発生するってことです。「カネ」に執着すればカネで苦しみ、「モノ」に執着すればモノで苦しむ。「愛」に執着すれば愛で苦しむものです。苦しみたくなければ執着しないことです。執着しないためには欲しないことです。要は欲を持たないことです。欲を持たなくても手に入ることもあります。手に入ればそれを守りたいという本能があります。だから入って来たものは守りに入る前に手放すことでしょう。このようにいつもなにも抱えていない。無所有の生き方が「苦」を遠ざけます。これは物質に限らず感情などすべてに当て嵌まることだと思います。すべてに執着しない。その生き方の指針の一つが「戒」であり「八正道」であるのだろうと思います。今日はその一つ『五戒』(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)これだけ実践するのも現代人ではかなり困難のものでしょう。この戒めはこれが原因となりたくさんの「苦」を招き入れる原因となりうるからです。この規律を守ることで多くの「苦」の原因から遠ざかることになるでしょう。一つの悟りの道です。地位も名誉も金も要らない。究極は要らないと思う気持ちすらもたない。こんな人の周りの人は扱いに困るらしいですが、本人としてはなんの憂いもなく楽しいものでしょう。
南無阿弥陀仏

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