『往生要集』入門 抜書き

学び

・思えば、現代では、人の生涯は、誕生から死までのたかだか百年に限られていて、しかも死ねば「無」になるという。また、現実に生じる様々な問題や不条理を、自分が生きている時間の中で解決、納得しようともがく。だが、人生はそれほど簡単なものであろうか。私たちは、自分の人生の中で生じた問題のほとんどを未解決のままにして、生涯を終わるのではないか。解決・納得したらしく見えるのも、たんに忘却であることがほとんどではないか。・ありもしない「浄土」を願うのは、愚かしいと思うのは、現代人の傲慢さによる。・真理を聞く機会は、日ごろから、おのれに欠けるものがあるという自覚があってはじめて得られる。・いつの時代も、自己内省という姿勢からのみ新しい価値が生まれてくる。・問題はあくまでも自己への執着にある。・末法の世ー1052年に末法に入ったといわれています。以後10,000年。その後滅法の世となります。・六道輪廻ー「地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天」六つの生存形態を渡り歩くこと。・「人界」もまた苦の世界だが、「人界』にいる間にしかできないことがある。それが、「六道輪廻」から脱出する道を選択することなのだ。その可能性があるがゆえに、いやそのことを実現するためにこそ「人界」がある。・人道の特徴ー「不浄」「苦」「無常」・「今から私は少しづつ、修学し、極楽に生まれて自在に仏道を学び、速やかに悟りを得て、衆生を利益することを極めつくすことができますように」・自身が煩悩の身であることを深く自覚して、しかも仏道を歩んでいるという思いをもつこと。・真の廻向とはおのれの手にした善行や功徳を、自己の往生のために役立てるだけでなく、それらを転じ、廻らせて、他者が悟りに達することができるようにすること。・常に心の師となるように心がけよ。けっして、心に引きずられてはならない。・「私は一切の過ちを悔い、もろもろの正しい道理を保つことを明らかにして人にも勧め、諸仏に帰命・礼拝して、最上の智慧が得られますように」・往生の要点ー仏の悟りを得たいと願う心、自分の行為(身・口・意)を正しく保つこと、阿弥陀仏の本願を深く信じて、誠をいたして、常に仏を念ずること。(本願を信じること、誠をいたすこと、常に仏を念じること)・衆生済度の慈悲業ー極楽に生まれるのは、おのれの快楽のためではなく、一切衆生を仏たらしめるはたらきに参加するためである。・人間の求道心を阻むものとして、源信があげるのは「驕慢」であり「名利」である。思えば「煩悩」の本質は自己中心にある。「驕慢」や「名利」も「自己」が可愛いから起こる現象であろう。エゴがなければ生きてゆけないが、強すぎるエゴは、苦しみのもととなる。・法然や親鸞は、そのエゴのコントロールが不可能であるという思いから「他力」の仏道を発展させた。・自分の心を制御できない環境にあると思えば、そこから離れよ。・人は「願い」に生きるのである。・人が自らの努力によって浄土にいたることは不可能だ、という断念にある。・現代は、宗教的求道心が衰弱している時代ではある。

南無阿弥陀仏

 

 

 

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